チリ:ハンセン病の歴史、「ハンセン病に関して冷静な態度を」医師会が市民に呼びかける

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昨日、厚生省の発表によってニュースとなった、バルディビア在住の移民男性がハンセン病に罹患している疑いについて、市民がパニックに陥らないように冷静な対応をチリ医師会が市民に呼びかけました。

現在ハンセン病の疑いがある人は2名で、1名はバルディビアのHospital Base Valdiviaに入院しています。何十年にも渡ってチリ本土での発症のケースはなく、国内で発症が確認されているのは海外から輸入されたものです。

「チリの健康システムはハンセン病の特定、治療に関する設備が整備されており、根絶に向けて常に国際戦略と提携を結んでいます。」

今回に限らず、外でハンセン病に罹患した国内居住者のケースは今までもありました。差別的な問題にならないためにも、患者の特定に繋がる情報の拡散を避け、市民が落ち着きを取り戻すよう呼びかけるようメディアに申請しています。

 

チリ、ハンセン病の歴史

ハンセン病の拡大から収束まで所用した期間は約100年で、その記憶は今でもラパヌイの人々に残っています。

イースター島がチリ領土となった1889年、それから1年後に初めてのハンセン病患者が確認されました。感染源はタヒチ島から入ってきたと考えられています。

チリ本土への感染を防ぐために、当時のイースター島の管理者は島民が島を離れることを禁じ、ハンガロア村付近の洞窟で非人道的な暮らしを強制しました。

そんな中ハンセン病感染は拡大し、島民全体の10%から25%が感染したと考えられています。

 

ハンセン病施設と診療所

ハンセン病患者への差別的な対応は1916年まで続き、同年、聖職者のRafael Edwardsが島を訪れ、状況に対して憤りを感じた記事をバルパライソのメルクリオ新聞に掲載しました。

「持ってるものを全て奪われた。生まれた土地、家、小舟、家畜、衣類まで。全て、全て残忍な欲に囚われた神を持たない人間、法律も血も涙も恥もない。動物のように押し込められ、自らの島を追われた隅で、閉じ込めた人間の意のままに生きる。」

この掲載から1年後、ようやくハンセン病施設又は隔離施設の建設が認められ、感染者の治療場所となるはずでした。しかし、島民の証言によると実際は収容所のようなものでした。

1960年と1970年、海軍の管轄になると医療設備が島に届くようになり、ハンセン病施設に変わって診療所が作られることになりました。ここから、感染者が激減します。

 

現在の状況

70年代にはイースター島に人的被害をもたらせた状況は改善し始め、ハンセン病患者へのリハビリと精神面のケアを行う施設も建設されました。

1992年に最後の3名の患者が治療を受け退院しました。イースター島のハンセン病感染はチリ本土には拡大しませんでした。

1994年にビニャ・デル・マールの国立病院でイースター島出身者の34歳の女性がハンセン病によって亡くなった際には警戒態勢が取られました。女性は7年間ビニャ・デル・マールで生活していました。

2013年、農家と伝統工芸に携わっていたイースター島の最後のハンセン病患者パピアノ・イカ・トゥキ(83歳)が亡くなりました。15歳でハンセン病にかかり、41年間ハンセン病施設で闘病生活後、病気をコントロールしました。

 

引用: http://www.emol.com/noticias/Nacional/2017/07/31/869143/Isla-de-Pascua-El-ultimo-gran-brote-de-lepra-registrado-en-el-pais.html

Colegio Médico llamó a la calma tras sospecha de caso de lepra | Emol.com

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